長命であることは

 長生きで羨ましい、と昔から言われてきた。いつの時代も理由を問うと三者三様の答えが返ってくるが、殆どの答えはこうだ──「色々な事を経験できるじゃないか」
「というのは建前で、皆死ぬのが怖いんですよ。だから死神のお迎えが遅くて羨ましい。それくらい言わなくても伝わってくるっての」
 エルミニアさんの家の居間でコーヒーを片手に愚痴る。確かに楽しい事もたくさんあったが、それ以上に困難にぶち当たった記憶が多い。恐らく短命の者よりはるかに悲しい事、辛い事を味わっている。何より僕は未だ数百年前に生涯の友を失ったショックから完全に立ち直れていない。
「長命種だって病気で短命種より先に死ぬことだってあるし」
「経験者は語る、ね」
 こうしてよくエルミニアさんは僕をからかう。まるで大昔不衛生であの世に行きかけた奴でもいるかのような口ぶりだ。どこのどいつがそんな阿呆をやらかしたのやら、と今しがた心に刺さった言葉の棘を抜き取って本筋に戻す。
「で、エルミニアさんは短命と長命だったらどっちが良いと思います?」
「私はねぇ……」いつもの含みのありそうな口ぶりで首を傾げるのに合わせ、水色の長い髪がふわっと揺れる。
 ここで貴方は?と質問を質問で聞き返される事もたまにある。僕なら断然短命の方が良い……命ある限り作品を書けるのは魅力的だが、戦争も恐慌も疫病もこれ以上はごめんだし、何より数多の死に立ち会う事に疲れを覚えていた。かと言ってここで生を終える気は微塵もないが。
 そんな風に答えをシミュレートしながら考え込むエルミニアさんの顔を伺う。悩んでいるのか悩んでいないのか、彼女と出会って百年以上経った今も表情や話し方で真意を掴むのは至難の業だった。そんな中でコーヒーを飲んでいるとやっと彼女が口を開く。
「私は長命でも全然良いわよ?色々な事を経験できるもの」
「やれやれ、短命種の人生を十回分堪能しているようなものでしょう、あなたは」そろそろ飽きが来ないのだろうか。
「ふふっ、私はそれでも構わないわ。だからこそ人生は楽しいの」
 エルミニアさんは僕の二倍以上長生きしている。少女時代はルネサンス真っ只中だったと豪語する彼女の目は楽しい事を見つけたかのようにきらきらしている。僕よりはるかに多くの幸せや困難を経験してきた魔女。考えは読みづらいが「色々な事を経験できる」部分も「人生は楽しい」の部分も本心からの回答なのが伝わってきた。
 僕もエルミニアさんくらい生きれば今までの事を達観できるようになるのだろうか、それとも相変わらず短命に生まれたかったと嘆くのか。
「そんな難しい顔しなさんな、まずは今を楽しむことが一番じゃなくって?」
 それもそうだな。笑顔でコーヒーをすするエルミニアさんを見るうち、これ以上この話題を続ける気が失せてしまい、クッキーを口に放り込み、飲み込む時には今書いてる小説について切り出すか、と既に頭は次のことを考え始めていた。



(2020.4)
ツイッター上で長命設定のキャラクターが話題になった時に、折角だからと物語形式にして上げたのが当作品です。
エルミニアは長く生きてきた中でなるようになる思考を得て、ルドヴィコもそれは頭で分かっているけれど中々飲み込めない。同じ長命でも違いがあるのです。