変な存在

 『マヒナちゃんの家って変だね』風呂上がり、鏡台の前でリナルドに髪を乾かされながら幼稚園で同級生達に言われた言葉を思い出す。
 どこが変なの、と返したら一人からは親をおにいちゃん、ししょーと呼ぶのはおかしいと見当違いの答えが返ってきた。何もおかしくはない、パパはすでにいないし、ママは物心ついた頃からいなかったのでどんな存在かを知らない。今自分を育ててくれるのは紛れもなくおにいちゃんとししょーなのだ。
 それから、家にテレビがないのは変だという話にもなった。ししょーの家には最近設置されたがおにいちゃんは頑なに置こうとしない。マヒナもししょーや同級生の家のテレビの前で幼児番組に釘付けになるので、できればうちにも欲しいのだが、「テレビなんてなくても生活できる」とおにいちゃんからは一蹴された。有事に備えてラジオだけは置いてるけれど、彼が留守の時しか聞いてない。
「おにいちゃん、うちって変かな」
「何がだ?」ドライヤーの手を止める事なくリナルドが聞く。
 マヒナが思ったことをそのまま話すとリナルドは暫く手を止め、ふむと鏡の前で考え込むと口を開く。
「例え変だとしても、案外そういう家は多い。ゲームが禁止されてる家とか、俺ですら意味不明なルールを敷いてる家とかな。マヒナも大人になって色々な相手と関わるようになれば分かる」
「変なことって、わるいこと?」
「本人次第じゃないか。悪いと思えば悪いし、良いなら良いで」
 リナルドが言い終わると同時にドライヤーの音が消え、かわりにふわふわの白い髪にブラシが入る。マヒナは髪や尻尾をリナルドに整えてもらう時間が好きだ。ししょーより不器用だけど、マヒナの思い通りにふわふわにしてくれるから今回も楽しみでならない。
 髪を梳いてもらいながら、再びマヒナは考える。さっきは言わなかったけど、リナルドも実は周りから変な相手と言われているのを知っている。シンケーシツでメンドくさい、と大人同士の会話で漏れ聞こえたのを耳にした。確かにマヒナもパパといた時の記憶と照らし合わせれば、当時の常識のいくつかがリナルドの前には当てはまらないことを痛感している。さっきのテレビなんて最たる例だし、その他にもうるさい場所や音が苦手で常日頃からやり過ぎなくらい気をつけていて、マヒナにも大きな声を出さないよう言いつけている。
 それから、時々おにいちゃんは何かを怖がっているのを見かける。心配なので何があったか聞こうとしても「大丈夫、マヒナには関係ない」としか言ってくれない。でも一回か二回くらい、部屋の中で目を真っ赤にしながら泣き腫らしていたのを見ているからいつかその理由を問いただそうとは思っている。
 でもマヒナの前ではいつも優しくて笑顔を向けてくれるから、例え変な奴と言われてもおにいちゃんの事は嫌いになれないのだ。
「よし、これでどうだ」
 リナルドの言葉にはっとする。ぼんやりしていた目のピントを鏡に合わせれば、目の前には雪のように白く柔らかな髪を持つ小さな少女が頭の紫の耳をぴょこんとさせた姿が映っていた。癖が強い髪に最初は苦労していた彼も、今は慣れた手つきでバッチリ仕上げてくれる。飛び跳ねたい気持ちのかわりにマヒナは笑顔で尻尾をブンブン振って答えてみせる。
「完璧だな」
 リナルドがニッと笑って親指を立てる。髪の次は尻尾だ、リナルドが屈むのに合わせて尻尾にブラシの感触を感じ、マヒナはぴたっと尻尾の動きを止めた。感情に合わせて無意識に動く尻尾を止めるのは難しいが、そうしないと彼が困ってしまう。
 根元から尾先まで静かに通されるブラシの気持ち良さには思わずうっとりしてしまう。夜も更け、あとは歯を磨いて寝るだけの段階なのもありついマヒナは眠気に襲われてる。このまま寝ちゃっても良いかな、マヒナが家のどこで寝ても目覚めればソファかベッドの上にいて、その身には毛布か布団が掛けられているのだ。でも歯だけは磨いて寝るように言われているからどうしよう、葛藤しながら眠気と戦っていたマヒナだったが、聞き覚えのないメロディーが聞こえた瞬間眠気は吹っ飛んだ。
 最初はラジオから聞こえている音楽だと思ったが、電源が切られているならこの音はどこから?耳を澄ますまでもなく、至近距離からと気付いた時にマヒナは思わず頰を緩めていた。おにいちゃんが歌っているのを初めて聞いたのだ!
 歌と言っても鼻歌だが、普段外から音楽が聞こえると怖い顔で耳をぺたんと畳んでいた彼からは想像もつかない。明るい曲調で思わず踊りたくなるのを抑えろと言われても今だけはできなかった。ブラシが入っているにも関わらずふわっと尻尾を動かしてしまい、リナルドが驚いてブラシを持つ手を離してもマヒナはニコニコしながら尻尾を縦に振り続けた。
「危ないだろうマヒナ」
「ごめんなさい、でもお兄ちゃんの歌とってもよかったから……!」
「あっ」
 マヒナの後ろで屈んでいるリナルドの姿は鏡台に映っていないので、彼の感情は気まずそうな声からしか想像するしかない。
「い、今のは忘れろ、頼む」
「どうして? おにいちゃんいい声だったのに」
「とにかく、マヒナであっても聞かなかったことにしてくれ」
 マヒナはなぜリナルドが照れているかが分からない。マヒナは嬉しいと歌いたくなるし、今だってそうだ。鼻歌を止める必要がどこにあるんだろう?首を傾げながらマヒナは首だけ振り返って赤ら顔を隠そうと視線を下に向けるリナルドを見やる。
 おにいちゃんは変だけど、マヒナと遊んだり、鼻歌を歌ったりできるんだから変じゃない。でもやっぱり変なのかもしれない。
 視線を再び鏡に戻し、再度尻尾にブラシを通された時、自分でもよく分からないことを考えながらマヒナはリナルドの姿を思い浮かべる。やっぱりマヒナは、この家もおにいちゃんも大好きだ。



(2023.4)
リナルドの子供の目線になっているようでなってない姿や、マヒナちゃんの可愛らしい姿をこの話に詰め込みました。