難しいお客様

 その客は煮込み料理の火を止めに居住スペースへ向かったほんの一瞬の間に店に現れた。小さな店に所狭しと並べられ、飾られた様々な雑貨の一つ一つを落とすまいと細心の注意を払って緊張気味に歩く姿は慎重すぎるようにも見えるが、その割にはそわそわと落ち着かない様子で色々な商品に目を移している。視線が明らかに商品を見ていないな、とエルミニアは彼を見た瞬間直感する。こんな人を選ぶと客の間で話題になっている店で万引きするとは到底思えないが、初めて見る客に少し興味が湧く。
 水色の髪や大きな尻尾は丁寧に手入れすればもっと輝けそう。顔立ちは整っているのにしかめ面が台無しにしている。服装は……最低限はきちんとしているように見える。総じて「勿体無い」の言葉が思い浮かぶ青年だ。そして最も目を引いたのが、彼が自分と同族であることだった。この国では珍しい、氷を操るキュウコンに出会ったのは人生で数度目である。既に自分が唯一無二の種族でない事は分かっているが、だからこそ不思議と親近感がわく。更に魔法使いと来れば余計にだ。
 一方の客は先程から魔法道具を並べた棚に興味を示したらしく、お気に入りの場所のようにそこから動かなくなっていた。流石にここから物を盗ればすぐにでもカウンターから歩みだして腕を掴むことができる。それくらいこちらから近い距離で道具を眺めていたが……どうも視線が気になる。道具を眺めるのは構わないが、時折こちらに目配せするような視線を送ってくるのだ。それに気付いた時に彼の表情も見えた。しかめ面の中に不安な表情が浮かぶその姿は助けを求めているようにも見えて。
「何かをお探し?」カウンターから客の元へ歩む。
 すると客はビクッと擬音語がしたかのように跳ね上がり、思わず衝撃で繊細な陶器を倒さないか心配になった。不思議な客だ、悪意の有無はさておき、話を続ける。
「珍しい魔法道具にかけてはこの街一番の品揃えよ」
「あ……いや、こんなところに雑貨屋があったんだなと」
 青年は俯き加減に棚の道具に視線を向ける。
「客を選別するためよ、あまり売れすぎるのも困っちゃうから、あえてここに店を構えている訳」
「……そうですか」
 訪れる沈黙。どうも彼には何かがありそうだ、少しばかりシャイな方なのだろうか、このまま気まずい雰囲気が続くのも嫌でとりあえず再び彼に話しかける。
「何か気になったものはある?」
「これとか」そう言って差し出されたのは天然石のネックレスだった。石には魔法をかけてあり、身に着けると周りの音を吸収して静かに過ごせる。
「防音のネックレスね、工事現場とか観光地を通る時にこれがあると静かに歩けるわ」
「これは」続いて万年筆を取る。
「ペン先で修正もできる万年筆。例えば字を間違えた時にここをノックすると消しゴムみたいに字を消せるようになって……」
 これも魔法道具の一つである。そう説明している間にも客は聞いているのか聞いていないのか、こちらに目を合わせようともせず伏し目がちに立っている。無愛想な相手は長い人生の中でたくさん見ているので今更不快感は感じない。そんな相手には距離感を掴むことが第一なのだ。
「面白い店ですね」
「ええ、ありったけ面白い商品を仕入れているもの」
 魔法道具以外の普通の雑貨もあるのだが、客はそれ以外には一切目を向けてない。渾身の出来のデコパージュやアクセサリーも見てもらいたいところだが、話題を変えてみる。
「魔法は好き?」
「まあ」彼の青い瞳に一瞬光が入ったのをエルミニアは見逃さなかった。「暇な時とかよく論文読んだり、研究とかしてますね」
「随分と魔法学に熱心なのね」
「それしか、自分には無いので……」
 少しだけ明るくなった声が再び暗くなったのが寂しかった。あれだけ魔法道具に本心から入れ込んでいる客は中々いない。彼の肩に手を置く。
「それだけでも充分よ、自信を持って。それだけ何かを突き詰められるって凄いわ」
 再び客がびっくりしたように体を震わせたので手を離したが、その表情は少しだけ柔らかくなっているように見えた。
「本当にそれ以外興味が無かったので。でも、本当魔法って学ぶうちに色々見えてきて楽しくて……自分の世界が広がったように感じるんです」
「素敵な話じゃない」
「だからこういう魔法道具も良いなって思いながら見てました」
 相変わらず客は目を合わせてくれない。ただその顔は俯きつつも口角が上がり、はにかんでいる表情で。
「あら、良い顔をするのね」
 こちらもつられて笑顔になった時、彼はしまったと言いたげに目を丸くした。

 

 カウンターに場所を移し、リナルドと名乗った客の名前には聞き覚えがあった。度々この店には腐れ縁のルドヴィコという、これまたエルミニアと同じ種族で、長命種で、魔法使いの男が来るのだが、彼が数年前にしばしば名前を挙げていたのだ。訳あって魔法の弟子を取っている。とにかく彼はポテンシャルが高く、この国のどの魔法使いより優れた才能を持っているから大成するのが楽しみだ──。種族は聞きそびれていたが、まさか彼も同族だったとは。
「えっ……ルドヴィコさんを知っているんですか!?」
「ええ、昔馴染みだから」
「そんな話俺にはしなかったぞ」
 眉間に皺を寄せながら腕を組む彼とルドヴィコの間にある話はさておき、彼がここにやって来た本当の理由を知る時が来た。彼が握りしめていたくしゃくしゃのメモをカウンターに広げると、そこには簡素な地図と「パンタシア」と店の名前が記されていた。
「ここの店主に頼めって知り合いから言われて……」
「何の話?」
「……マヒナの魔法の師匠になってください」
 魔法の師匠?と聞き返す間も無くリナルドが深々と頭を下げる。このまま手をついて神様に祈るんじゃないかという勢いだったのでエルミニアも驚き、彼を見下ろす。
「金取るならその分支払います、俺では無理なんです」
「まって、落ち着いて、順を追って説明してくれるかしら」
 全く予想外の話を持ちかけられて目を丸くするばかりである。ここでコーヒーがあれば一層落ち着けたものを……ただこの状況で持ってくるのも面倒なので、ひとまず彼の話に耳を傾ける。
 彼が話すにはこうだ──彼はひょんな事からマヒナという氷を操るロコンの少女を育てる事になり、魔法使いでもあった彼女の才能を引き出すべく魔法を教えたのだが、上手く教えることができず途方に暮れ、知り合いのタンクレディに教え方の良い魔法使いがいないか聞いたという。ちなみに、タンクレディという名前でもしかして、と聞いてみたところ可愛い恋人で間違いない結論に至り、エルミニアは密かに世界の狭さを感じた。
「子供ね?どんな子?何歳くらい?」
 子供と聞いては子供好きの血が騒ぐ。それに彼女も同族ではないか!エルミニアの心の弾み様にリナルドが一歩下がったがお構い無しである。
「人見知りなところはありますが……まあ、いい子です。いい子、なので」
「分かったわ、まずどんな子か会ってから色々話を決めたいわ。いつ頃時間ある?」
「今週か来週の週末には」
「早い方が良いわね、今週はどうかしら」
「それじゃ、是非」
 話は決まった。どんな子に会えるか高鳴る鼓動を抑えつつ、リナルドと握手すると冷たい感覚が手に伝わる。もっとも同族である自分も冷たい手なのだから何もおかしくはない。
「ありがとうございました」
 店を出るリナルドを見送りながら想像を巡らせる。この先にはどんな日常が待ち受けているのだろう。子供は好きだが、長く生きてきて子供にここまで密接に関わる経験が無かった事を思い返す。短期間面倒を見た事は何度かあるが、きっと暫く退屈する時間とは無縁になるだろう。時に成長ぶりに喜び、時に涙する日もあるに違いない。何もかもが新鮮な事ばかりで、力がみなぎってくる。
 店から一歩出たリナルドに手を振ろうとした矢先、突如彼が振り返って再び店の中に入った。何かを探すように魔法道具の棚を暫く凝視した後、カウンターに髪飾りを置く。あれは確か髪に触れただけで自然とまとめてくれる魔法道具だ。大きなリボンをあしらったそれは成人男性には似合わない代物だが、女の子なら大喜びするデザインだ。あまりの素早い行動にきょとんとしていると、リナルドが遠慮がちにこちらを見つめて口を開いた。
「あの、これが気になって……いくらですか」
 彼とも今後長い付き合いになるだろう。未知なる予感にエルミニアは心を震わせた。



(2023.4)
リナルドが初めてエルミニアの店を訪れた話。なぜエルミニアとマヒナちゃんが師弟関係なのかという掘り下げです。
他人に中々心を開かないリナルドですが、エルミニアにはある程度気を許して接しています。マヒナちゃんが懐いているのもあるけど、同族で魔法使いで、年長者として頼れる存在だからです。