果てなき好奇心

 子供の頃は病院とか役所とか、重苦しい場所以外はどこも遊園地のようなきらきらした未知の場所に見えてならなかった。それは無知から沸き起こる好奇心を痛いくらい刺激し、まるで新大陸に上陸した探検家よろしく目に映るあらゆる物体に対してあれは何か、これは何かと知りたくなる衝動に駆られてその場を駆け回っていたっけ。
 ただそれは一、二回訪れた場所にだけ感じる欲望であり、実家のように何度も訪れて寛げるところではここまで目を輝かせることは無い。そんな考えがマヒナちゃんの存在で打ち消される。
「タンクレディさん、これはなに?」
 休業日で俺とマヒナちゃんしかいないエルミニアさんの雑貨屋の店舗で、興奮気味に商品を指差すマヒナちゃんの声が響く。小さな人差し指はニュートンのゆりかご、と巷で呼ばれる振り子に似た銀の装置に向けられていた。
「盗聴防止の魔法道具だな、これを鳴らすと暫くの間魔法の音が鳴って話し声を消してくれるんだ」
「あれは?」
「オイルタイマーじゃなくてえっと……ただのハーバリウムだな」
「これは?」
 目を輝かせて次々と店の商品を指差していくマヒナちゃんに着いていくのは大変だった。彼女の飽くなき探究心がどれだけ小さな体に秘められているのか、全く想像がつかない。ただ一つ言えるのは、その感情が先程までの不機嫌な気持ちを吹き飛ばすくらいプラスに働いているという事である。
「それにしても、好奇心旺盛すぎないか……?」
 髪をかき上げながら独り言が口を衝いて出る。俺が子供の時でもここまで店の商品に食いつかなかったな、と考えつつ数十分前の出来事が脳内では繰り広げられていた。

 

 そもそも俺がエルミニアさんの店に足を踏み入れたのは、以前から彼女と約束を交わしていたいわば「家でのデート」の日だったからである。いつものようにエルミニアさんと他愛ない会話をしながらコーヒーをいただき、のんびり寛ごうと思ったのだが、そこにいたのは木材と色とりどりの紙切れに囲まれて黙々とデコパージュの作業をするエルミニアさんと、その工程をじっと凝視するマヒナちゃんの姿だった。
「エルミニアさん、折角俺が遊びに来たのにずっと作業してるのか?」
「ごめんなさいね、注文数が思いの外多くて……私も貴方と話したいけれど、もう少し時間がかかるわ」
 申し訳なさそうな声色にやるせなさと若干の怒りを収めつつ、マヒナちゃんと暫くデコパージュを眺めていたのが先程あったこと。
 その時からマヒナちゃんの持ち前の好奇心が発揮されているのは確認できた。大きく見開いた紫の瞳がエルミニアさんの手をじっと見つめる。ニスをつけた刷毛で丁寧に木靴を塗っており、片方を塗り終えると即座にもう片方を取り、塗る。そしてあっという間にペイズリー柄の赤い紙を貼り付けた木靴が完成した。
「わああ……!」
 マヒナちゃんのぽかんと開けた口から思わず感嘆の声が漏れる。いつ見てもエルミニアさんのデコパージュの作業は惚れ惚れする。一切の無駄がなく、洗練された動き。作品が芸術品なのはその通りだが、職人もある意味では芸術品なのかもしれない、と思いつつ俺はマヒナちゃんを監視した。まだ幼い彼女がニスや接着剤なんか手に取ったら危険だからである。
「ししょー、マヒナもやりたい! ねえたまにはいいでしょ?」
「何度も言うけど駄目よ、マヒナちゃんにはまだこういうのは危ないって言っているでしょう」
「きをつけるもん……」頰を膨らませる。
「大きくなってからね、そうしたら触らせてあげる」
 そう言うとエルミニアさんは手のひらほどの大きさの木箱に薄い花柄の紙を当てる。恐らく俺のいない場所で何度もこの会話が繰り返されて来たのだろう、好奇心旺盛な彼女には酷な話である。頬を膨らませていじけモードになってしまい、エルミニアさんの机から離れてしまったマヒナちゃんについ失笑する。そう、店内を歩き回らせればすぐ機嫌を直す、とエルミニアさんが言ったのが今店内を小さなロコンが歩き回っている理由である。
「嘘だあ」思わず言葉が出たのは、今の彼女がすぐ上機嫌になるなんて、出張に出かけたリナルドがお土産を持って帰って来る事くらいしかないと考えていたからだ。
「嘘だと思ったら連れて行きなさい、作業が終わったら呼びに行くから」
 こうして、俺はまんまと小さな子供のお守りをさせられる事になったのである。

 

 エルミニアさんから駄目出しされて不貞腐れていた姿は何処へやら、今のマヒナちゃんは猫足の黒い大釜を覗き込もうと釜に手をついており、俺は彼女が落ちないように支えていた。
「薬草とかを入れて煮込む釜だ、素材的に魔法薬を作るのにもってこいなやつだな」
 足繁く通っている俺でも目立たない場所に置いてある釜には今の今まで気付かなかった。値札に書かれた素材から推測してみせると、マヒナちゃんは底を除きながら感嘆の声を発してみせた。まるで漫画みたいだ、と内心呟く。機嫌の悪い顔が次のコマには笑顔になっているような、そんな感覚。当たり前のように出入りしている場所なのに、よく飽きないものである。
「飽きたりしないのか?」なのでマヒナちゃんの足を床に付かせながら聞いてみる。
「あきないよ! マヒナのしらない物、いっぱいあるもん」
「そっか、たくさん物があるからな」
 うんっ! と元気よく首を縦に振るマヒナちゃんにつられて目を細める。見慣れた光景でも喜んでいるなら結構だ、彼女が楽しんでいるならそこに水をさす必要はない。
「知らない物がたくさんなのは羨ましいな……」
「タンクレディさんは、なんでもしっているの?」アクセサリー商品に夢中になっていたマヒナちゃんが首を傾げる。
「知らない事もあるけど、まあマヒナちゃんよりは色々知ってるぞ」
「おとなってすごいんだね!」
「へへっ、どうだろうな……」
 小柄な体躯故に大人、という言葉についにやけ顔を隠せなかったが自分が凄いとは思っていない。寧ろ世の中のあれそれを知ってしまったから、逆に世界が退屈に見えるようになってしまったのはある。確かに未知が既知になった瞬間の喜びは計り知れないが、いずれは限界が来る。今知らない事と言えば興味ない分野の諸々や宇宙の全て、海の底の底くらいしかないのではなかろうか。少なくとも、世の中という物がいかに辛く楽しいかを知ってからが境目だった。結婚式で花嫁をさらった後に起こる展開や年端もいかない少年少女が駆け落ちしてトロッコに乗り込んだ後の展開を考えただけで胃がキリキリしてくるのだ。この世は映画のように上手くはいかない。だが小さい頃の自分やマヒナちゃんならどう思うだろう。
「マヒナもいつかものしりになれるかな」
「物知りになっても、マヒナちゃんなら知らない事がわんさか出てきそうだけどな」
 その後も知らない商品に対して無邪気に質問責めをするマヒナちゃんに、つい子供や少年だった頃に戻りたくなる気持ちが芽生えた。彼女と一緒に日常の未知を探して探検できたらきっと朝も夜もワクワクで心が満たされる。何も知らないからこそ、変なフィルター無しに純粋に物事を受け止められたらどれだけ楽しくなるか?思いは膨らむばかりである。
 だが、無垢なマヒナちゃんと共に店を探索するだけでも気付けば小学生の頃に戻れそうな気がした。そう、マヒナちゃんの目を通して見る世界を追体験する事に没頭している俺がいるのも事実だった。久々の感覚が蘇ったような感触がする、身近な未知に触れる高揚感と興奮が──。
「ねえ、これってなんなのかな?」
「それ?困ったな、俺でも全然分からないぞ、これは一体……」
「デコパージュのオルゴールよ。ちょっと変わった柄の紙を貼ってみたの」
 エルミニアさんの声でまるで夢の終わりのような、現実が戻ってくる名残惜しさを噛み締めながら、俺は髪を無造作にかき上げた。



(2023年頃)
タンクレディとエルミニア、マヒナちゃんとの絡みを見せたくて載せた話です。
書く時に「小さな恋のメロディ」を観て、子供の無知で純粋な視点が羨ましくなったのを思い出します。マヒナちゃんも何も知らないからこそ、あそこまで物事に夢中になれるのである。