目覚まし時計の金属音で暗闇に落ちていた意識が一気に引き上げられる。ぼんやりした意識のまま無理やり目覚めなければならないのは不快だが、日当たりの良い場所で眠っていたことで体中がぽかぽか温かく、不快感を相殺する程の心地よさが気持ち良い。
体を沈ませていたソファから半身を起こして伸びをする。ぼんやりとした頭で真っ先に頭に浮かんだのは「何も夢を見なかったな」という事だ。ただただ、暗闇に身を任せ眠りの世界に没頭する。ああ、自分でもこんな事が出来たんだな、と伸びきった腕を戻し右の手のひらを見つめる。
「ふん……」と思わず鼻を鳴らしてみる。まだ頭は重いがすっきりとした感覚がある。夢を見ない事がどれだけ素晴らしいことか。
昔は眠る事が怖かった。闇の世界に身を預けると決まって過去の記憶が悪夢として蘇るからだ。故郷で虐げられた思い出に何度身を刺されたかは途中から数えるのをやめてしまっている。今だって思い出すまいとしても時折脳裏に過ぎる、あの頃の記憶。
炎を操る同族の中で唯一真逆の属性を持って生まれてしまった故に、この国に来るまでは差別と嘲笑に晒されながら生きてきた。国王だった父親から息子と認識されたことは無かったはずだ。背中にすがりつこうとして振り払われ、床に叩きつけられた感触を今も覚えている。母親は口ではあなたの助けになる、と言いながら自らの保身のために惨状を見て見ぬ振りし続けていた。あんな奴を母親とは思いたくない。三人の兄達は己のストレス解消のために暴力ばかりを浴びせていた。炎の色の赤が、彼らの赤や金色の体毛が今もトラウマとして鎖のように心を締め付けるのは家族だけじゃなく、自分を忌み子望まれぬ王子として指を指し続けた民の存在もある。
──あんな奴等に囲まれて育てば、誰も信用できなくなる。これまでの人生で「なぜ周りを頼らない?」と投げかけられる問いに何度ため息をついてきたか。
そして運が良いのか悪いのか、今の国と故郷が戦争を起こし、そのごたごたで父親と兄達を亡くし、母親が僻地に幽閉された一方で自分は国に対して敵対心を持っていない、そして途方もない魔力の才能を秘めている理由で捕虜になったのは、今思えば運命だったのかもしれない。やがて捕虜という身から運良くグェルフォというアマルルガの魔術師に養子に貰われたが、彼に頻繁に迷惑をかけていたのは今も後ろめたさがある。
心に分厚い壁を作り、あらゆる存在を拒絶してきた自分に諦めず接してくれただけじゃなく、毎晩自分の叫び声に飛び起きては気が狂う程泣きじゃくる心身不安定な子供に諦めず向き合ってくれたのだ。感謝以上に申し訳なさが勝る。それでも結局この関係が十年以上続き、今ではすっかり本物の父親のように父さんと呼んで頼ってしまうのだから己の図々しさには我ながら時々呆れてしまう。
現実に意識を戻すと、実のところここ数年は穏やかに眠れる日が増えてきているのだが、今日のシエスタは一層快適に感じたように思えていた。それは直前まで魔法の論文を閲する仕事に没頭して雑念が飛んでいたからか、今日の晴れやかで穏やかな陽気が眠りの質を高めたからか。ただ、こんな日が続くのは非常に有り難かった。
「平和に、普通に過ごしても良いんだな」
相変わらず窓からソファには温かい日差しが差し込んでいる。流石にそろそろこの温かさが身を焦がす温度に感じてソファから起き上がると、自分に割り当てられた部屋の内鍵を開錠し、そのまま外に掛けていた「不在」のプレートを部屋の中にしまう。
さて、休憩時間は終わりだ。残りの論文に目を通さなければ。机に置かれた存在感を放つ書物の山は魔法好きにとっては宝石や金のように見える代物だ。次はどんな文書に出会えるのか、椅子に座り一番上にあった書物を手に取った時には既に過去の記憶は頭の遥か彼方に追いやられていた。
(2023年頃)