手紙

「ししょー! 手紙とどいてるー!」
 ばたばたと小さな弟子が駆け寄る足音でエルミニアはまどろみの世界の門をくぐらずに済んだ。今日の午後は店を閉め、彼女の保護者が来るまでこの可愛らしい白いロコンの少女マヒナに魔法を教える予定だった。幼稚園からマヒナを迎え入れてから少し時間が余っていたため、魔法の師匠になる時間まで本でも読もうと思ったのだが、書見台に置かれた本は殆どページが進んでいない。
 はいはいと軽く伸びをし、店舗のスペースから居間に走ってくるマヒナを迎える。細々とした商品の多い雑貨屋故彼女には商品に触らない、ぶつからないと日頃から教え込んでおり、今回も約束が果たされているのを遠目で確認してから手紙を受け取る。
「ありがとう、偉いわね」
「えへんっ」
 流石私の愛弟子。聞き分けの良い彼女の雪のようにふわふわな頭を撫でてからテーブルに手紙の束を広げると、その中でひときわ目立つものがあった。
 絵の具で緑、オレンジ、紺色などで夕暮れを描いたと思わしき絵葉書。芸術の造詣に深く、寛容であるエルミニアが見れば作者が一生懸命描いた絵だと見抜き「前衛的な絵」と言葉を瞬時に選んで評することができるが、マヒナくらいの小さな子供や、彼女の保護者リナルドのような芸術に疎く、直情的な感想しか出ない者は散々な評価を下すだろう。『これが売れるなら俺だって今頃画家になってただろうな。ならないけど』正にリナルドが言いそうな台詞が脳内で再生される。
「だれからの?」首を傾げるマヒナ。
「ルドヴィコからよ。貴女も知ってるでしょう」裏返してでしょうね、と心中で呟き返答した。
「うんっ!このまえおうちにきた時絵本とチョコレートを持ってきてくれたんだよ!」
「あら良かったわね、お礼は言った?」
 自信満々に首をぶんぶん振るマヒナに微笑み、再び絵葉書に視線を落とすとびっしりと文字が埋め尽くされた裏面が待ち構えていた。何百年も文章を書き続ける事に喜びを見出しているルドヴィコらしい文面だ。旅の諸々をたくさん教えたいという気持ちが内容を見なくても伝わってくる。
「あら、今はラテラルにいるのね」
 氏名住所の欄を食い尽くさんばかりに記された近況には、ルドヴィコが現在手掛けてる作品の取材云々でガラルにいる事、ラテラルの街で遺跡を見物し、陶磁器の博物館に立ち寄り、画材店に寄った時に店の主人に言いくるめられて画材の試し書き――この絵葉書のこと――をしたと記されていた。景色を見て欲しい、と普段風景写真の絵葉書しか贈らないルドヴィコなのに珍しいと感じた理由が判明したところで、葉書はこう締めくくられていた。
『たまには趣向を変えた方が、変わり映えしないより良いでしょう。それはエルミニアさんもよく分かっていると思います。何気ない日常は送り続けるほど退屈に耐えられなくなる。そんな中でちょっと変わったことをやってみるのが僕の楽しみでもあります』
 そこで横から絵葉書をのぞいていたマヒナから内容を知りたいとせがまれてエルミニアは現実に引き戻された。かいつまんで伝えるとマヒナは紫の丸い目をきらきらと輝かせ、頭の耳をピンと立てて柔らかな声に夢中になり始めた。子供は好奇心の塊だが、とりわけマヒナの塊はローストチキン級の大きさだ。見知らぬ土地の話に鼻息を荒くし、最後にはエルミニアの前でぴょんぴょん跳ねてみせた。
「たのしそうたのしそう! マヒナもガラルに行きたい!」
「いつか行けたら良いわね」
「よし、ぜったい行くぞー!」
 ふんすふんすと聞こえるくらい鼻を膨らませるマヒナの姿にエルミニアも思わず顔を綻ばせる。エルミニアもマヒナが将来ガラルに行けることを本心から願っていた。幼い彼女に必要なものは経験だ。情緒や感性は様々な事を見聞きしてこそ身に付くのは自分の身をもって痛感している。それにマヒナもまた、自分やルドヴィコのように悠久の時を生きながら様々な経験をしていく運命にあることを知っているからこそ、彼女に一層親身になって接しているのだった。
「おへんじは書かないの?」しばらく絵葉書を眺めていたマヒナが見上げる。
「ルドヴィコは旅をしているから、手紙を届けるのが難しいの。行き先を知ってても、手紙が着いた頃には別な場所にいるかもしれないでしょう」
「ふうん、そっか」
 再びマヒナは葉書に視線を戻した。確かにそれも理由の一つだが、エルミニア自身に手紙を書く習慣が減りつつあるのだ。
 無論仕事や付き合いの上で必要なもの――例えば商品の発注、遠方の魔法使いに魔法に関する悩みを持ちかけられた際への返信、様々なコミュニティの会合に呼ばれた際の諸々等は、礼儀を重んじる彼女にとっては欠かせない事柄だ。しかしそれら抜きで最後に手紙を書いたのはいつになるだろうか? ふとエルミニアは考え込む。
 思えば長く生きるうちにそんな習慣は薄くなった気がする。自分より遥かに寿命の少ない大多数とのやりとりは寿命差が虚しくなってフェードアウトするように途絶えたか、電話という文明の利器に頼ってばかりになった。同じ長命の相手も途絶える理由が膨大な年月の経過によるマンネリ化である以外は殆ど同じだ。長く生きていると日常の何を報告すれば良いか分からなくなるのである。それを思うと筆まめなルドヴィコの習慣は才能の一種だと感じてやまない。どこからそんなパワーが湧き上がるのだろう?
「本当、よく書けるわねえ」誰に対してでもない言葉が無意識に口をついた。

 

 葉書の話題が再び飛び出したのは、それから暫くエルミニアとマヒナが師弟の間柄らしく魔法の特訓を終えた後、傾き始めた日の光の当たる居間で休憩していた時だった。
 マヒナが持ってきた手紙や葉書をレターケースに収納せずテーブルの隅にまとめて置いており、マヒナの興味がそれらに向いたのだ。両手でアイスココアの入ったマグカップを飲みながらも目はしばしば手紙の束を追っており、ココアのおかわりをせがまれたエルミニアが隣のキッチンでココアパウダーの缶を取った時にその声は響いた。
「ししょーも旅したら手紙かいてくれる?」
「その時にならないと分からないわ」ココアパウダーを溶かしながら自然に返す。気紛れで出す気にならないとも言い切れない。
「ししょー、そろそろ旅にいくっていってたよね?」
「そうね、商品の仕入れがあるの。また今度行ったらたくさんお土産を買ってきてあげるわ!」
「それじゃマヒナ、旅先の絵葉書ほしい! ルドヴィコさんみたいなの!」
 弾んだ声がエルミニアの耳に刺さった。困った、いきなり一方的に契約書にサインを入れられたかのような感覚に、人じゃない姿でいたらキュッと耳を傾けていただろう。目の前のココアがお湯に溶かされて黒々した液体に、無邪気に笑みを浮かべるマヒナの表情が浮かび上がる気がした。
 旅先で買った絵葉書を帰宅後に書いても聡い少女には知られるだろうし、何よりエルミニア自身が許せない。いつもの調子で断っても良いが、小さなマヒナ相手には寛大かつ優しく接しようと決めている。
「ええ、マヒナちゃんに書くわ。旅先の葉書に切手を貼ってね」
 ミルクを入れた二杯目のココアをマヒナの手に持たせると、目をきらきらさせていた少女は一層夜空の星々のように目を輝かせ、今にも飛び跳ねんばかりにココアとエルミニアを交互に見つめた。今なら「ただし、この後の魔法のお勉強も頑張るならね」と付け加えれば素直に聞いてくれるだろう――実際マヒナもうんうんと頷き、リナルドが店を訪れたことにも気付かない程に今日の特訓は白熱したのだった。

 

『そういえばエルミニアさんから誘われたり、何かアクションを起こされる事って美術館の特別展で何かある以外あんまりないですね』
 数ヶ月後、エルミニアは隣国カロスでふとルドヴィコが以前口にした言葉を思い出していた。町のシンボルであるプリズムタワーを窓から一望できる、ミアレの街にある少しリッチなホテルの一室で、その窓がある位置に置かれたアンティークの机に向き合っていた時だ。ペンを持つ彼女の視線は窓の外のプリズムタワーや町並みではなく、机に置かれたプリズムタワーの写真が描かれた二枚の絵葉書だった。マヒナとルドヴィコに一枚ずつ。
「私から動かなくても、皆が誘ってくれるからなのよねえ」
 美術館の特別展は定期的にチェックして、見たいものがあれば思いついた相手に一緒に行かないか持ちかける。ただそれ以外、例えば食事やデートに誘われる時は大体相手側からだ。趣味の観劇は一人で行くことが多く、誰かと行く時はやはり相手から誘われて足を運んでいた覚えがある。こうして振り返ると、いかに自分が不動の存在かを認識できる。
 今日はそんなエルミニアが不動から脱却する輝かしい日なのだ。少なくとも最近は旅でいつもの決まった過ごし方をしていないのでネタはいくらでもある。とはいえカロスはこれまでに何回も足を運んでいる国なので今更何を書けという事でもあるのだが、マヒナの輝く瞳やルドヴィコの熱量溢れる絵葉書を思い浮かべると、自分も書いてみようかなと背中を押された気持ちになる。それにマヒナとは約束を交わした経緯がある。
 早速ペンをとりルドヴィコの分から書き始める。マヒナの分は同じ文面を分かりやすい単語表現に置き換えれば十分だろう。ミアレの街はおしゃれだが混沌めいている事、美術館に展示された作品に息をのむほど引き込まれた事、観光地と化した宮殿の庭園が素晴らしかった事、最後に珍しい品物を入荷したので雑貨屋として足を運びにきて欲しい、と付け加えて葉書を机から離し手に取った。
「……」
 葉書の半分を受け尽くす内容に思わず目を見開く。書けないと思っていた筈だが我ながらよくここまで埋められたものだ。それにエルミニアの心の中には少なからず高揚感があった。手紙を書くとは意外と面白いことだったのだ。ルドヴィコ程情熱を注ぐ熱量がなくても、久々にやるとこうも楽しいとは。
「普段と違う事をやるって面白いわね」
 脳裏にいつぞやのルドヴィコの絵葉書が蘇って思わず微笑む。たまには誰かに手紙を書くのも良いかもしれない。エルミニアは勢いのままマヒナの分も書き上げ切手を貼ると、有り余る熱量を更に燃焼すべくタンクレディ、リナルドと思いついた人数分の葉書も取り出して机に置いた。



(2022~2023年頃)
 作品というのは外部からのインスピレーションを受けることで閃くこともある。この作品は普段ロムっている界隈の小説を読んだ時にパッと思いついた話です。
 私自身中学時代に離れてしまった友人と手紙でやり取りしていた時期があるので、ふとその時期を思い出して懐かしくなりました。